自分らしく生きると言う事
最近、「自分らしく生きる」とか「周りの目を気にせず生きる」と言う言葉をよく耳にする。
ちなみに、自分で言うのも何だが、自分は相当「変人」で居続け「自分らしく生きる」事や「周りの目を気にせず生きる」事を相当実践してきた方だと思う。それも踏まえてだが。
やはりこう思う。
この世界で自分らしく、周りの目を気にせず生きるのはムリゲー。
うん。そう言い切れるな。
だって、根本的に言えばさ。他人は、貴方に対して「自分らしく生きてもらう」事も「周りの目を気にせず生きてもらう」事も期待してないもの。
正直、「周りの目を気にせず生きる」事が素晴らしい事だったら、「礼儀作法」とか「常識」とかそういうものが、この世に存在しえないはずだ。
ぶっちゃけ、自分は相当「周りの目を気にせず」「自分らしく生きて」きたが、それで得られるものは、冷笑か侮蔑もしくは嫉妬と言う感情が強い。
周りの目を気にせず自分らしく生きる事を許されているのは、正直「ホームレス」と「5歳以下の幼児」くらいだと思う。
周りの目を気にしてるから、女性は毎日化粧して家を出るわけだし、周りの目を気にしてるから、みんなきちんとした格好をして、奇抜な事をせずにやっている訳だ。
それでも、何故か悩んでいる人やメンヘラっている人に「自分らしく、周りの目を気にせず生きろ」とかいうけど、まぁ自分がやれもしない事をよく言うなぁ・・と思う。
周りの目を気にしないなら、あなたは鼻毛ボーボーのままで人前で出れますか?スッピンのまま会社に行けますか?とかそうなるのだ。
しかも悪いことにこの日本と言う社会は、恐ろしいほどに減点方式である。
飛びぬけた才能や、または特徴などは歓迎しない社会だ。要は「減点ポイント」が無い事。そしてこれは、男女関係でも最重要ポイントである。
自分みたいに、身なりを気にしない人間は、街を歩いていると、よーみんな、そんな隙の無い格好をしてるなとか思う。
そしてこのご時世、したくなくても、マスクして歩かないと、「迷惑」とか言われる始末だ。ここも意見色々あるけど、とにかく日本人は、他人に対して「個性を出して自分らしく生きる」事を望んでいない。
自分以外の人間は、自分の予想する通りにレスポンスし、自分の予想通りに受け答えしてくれて、予想通りに動いてくれることを期待している。
それを含めてあの人は礼儀がきちっとしている。とか気が利いていると言う評価を受けるのだ。
で、周りの目を気にしない人は「KY」とか「失礼な人」とかそういうカテゴライズされて社会から弾き飛ばされる訳だ。
まぁ人に対して「自分らしく生きよう」とか「周りの目を気にせず生きる」とかって、正直言っている人が、したくても、そう出来ないジレンマから来ていると思う。
みんな、心の底では、「自分だけ自分らしく生きて、他の人間は、自分が思うままに動いてほしい」と思っている。究極的には。
だから、世の中「独裁者」みたいなのが出たり。社会で言えば「ワンマン社長」みたいなのが出るが、どれも肯定的には捕らえられてはいない。
自分らしく生きる事は、昔から「ワガママ」と言われていたし、昔の日本で「自分らしく生きよう」みたいな風潮は皆無だったと思う。
大昔から何百年も何千年も、みな「人の目を気にして、自分らしくなく生きてきた」のだ。
大昔はそれが出来たのっで、織田信長くらいじゃないのかなとか、思う。マジで。